加地龍太ブログ
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西南戦争で西郷隆盛翁の近衛隊長をやった自源流剣士の墓参り
鹿児島県鹿児島市の南洲墓地は西郷隆盛翁の墓があることで有名です。 この墓地は、西南戦争において反明治政府軍(西郷軍)に所属した人々の墓も西郷翁の墓と共に建てられています。 有名所で言えば桐野利秋(きりの としあき)の墓ですね。旧名は中村半次... -
瀬戸口家が代々神職を務めていた宮「蒲生八幡神社」
現在の鹿児島県姶良市(あいらし)蒲生町(かもうちょう)に蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)があります。 この八幡宮はその他の八幡宮と同じく八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)=八幡大菩薩=応神天皇を祭っています。 八幡宮は現在日本で二番... -
鎌倉にある近江源氏佐々木党に所縁がある「小動神社(こゆるぎじんじゃ)」
神奈川県鎌倉市腰越に小動神社(こゆるぎじんじゃ)があります。この神社は、私の先祖の加地家初代となる佐々木盛綱(ささき もりつな)が源平合戦(1180年~1185年)が終わったあとに建てた神社と伝わっています。 近江源氏佐々木党の元々の根城だった近... -
近江源氏佐々木党の氏神を祭る神社「沙沙貴神社」
加地家は元は近江国(おうみのくに)の佐々木荘(ささきのしょう)を根城にしていた佐々木家となります。 佐々木家から分派した数多くの家の一つが、鎌倉時代初期に越後国(えちごのくに)の加地荘(かじのしょう)の地頭となった加地家です。加地家は越後... -
自源流の最高傳位と最高目録を授かった一人「山田昌巌翁」の墓参り
昔の薩摩国(さつまのくに)は、各地の城の周囲に麓(ふもと)と呼ばれる武家たちの集落を作る外城制度(とじょうせいど)がありました。 この外城制度がはっきり形になったのは江戸時代になってからとのことですので、薩摩国が薩摩藩になってから制度とし... -
自源流五代目、六代目、七代目とその弟子たちの墓参り
現在の鹿児島県鹿児島市にかつて存在していた南林寺という寺に、天眞正自源流の五代目、六代目、七代目の継承者とその弟子たちの墓がありました。 南林寺は明治時代の廃仏毀釈の際に廃寺となっており寺自体はもう無いのですが、墓は壊されることなく場所を... -
自源流初代、二代目、三代目、四代目の墓参り
鹿児島県日置市にかつて存在した興焉寺(こうえんじ)という寺に天眞正自源流の初代、二代目、三代目、四代目の墓がありました。 初代「瀬戸口 政重(せとぐち まさしげ)」 二代目「瀬戸口 重為(せとぐち しげため)」 三代目「瀬戸口 長重(せとぐち な... -
自源流開祖が悟った瀧「伊汪之瀧(いおうのたき)」
鹿児島県姶良市の某所に天眞正自源流の開祖、瀬戸口政重(せとぐち まさしげ)が悟った瀧があります。 私も2024年6月某日に自源流の一門会の人々複数人と共に開祖開眼の地、悟りに至った伊汪之瀧(いおうのたき)へ赴きました。 姶良市(あいらし)... -
五つの国宝の城。松江城、犬山城。
日本には五つの国宝に指定されている城があります。 長野県の松本城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、島根県の松江城、愛知県の犬山城の五つが国宝となっています。 私はその中で行ったことがあるのは松本城と松江城と犬山城の三つであり、松本城は外か... -
稽古へ
自源流の稽古の項目の一つに「野太刀(のだち)」があります。 野太刀とは、体力と筋力の強化のための稽古であり、現代格闘技風に言うとドリルとかサーキットトレーニングとかミット打ちサンドバッグ打ちのようなものです。 戦うための体力と筋力を養い、...