神奈川県鎌倉市腰越に小動神社(こゆるぎじんじゃ)があります。この神社は、私の先祖の加地家初代となる佐々木盛綱(ささき もりつな)が源平合戦(1180年~1185年)が終わったあとに建てた神社と伝わっています。
近江源氏佐々木党の元々の根城だった近江国にあった八王子宮という神社の分社として、佐々木盛綱が今の鎌倉市の腰越にある小動岬(こゆるぎみさき)に勧請したのが小動神社とのことです。
この小動神社はスサノオ、タケミナカタ、ヤマトタケルの三神を祭っており、みな武神としての性格を持っている戦いの神となります。
鎌倉時代末期、新田義貞(にった よしさだ)という南北朝時代には南朝側の総大将となる武将が、鎌倉幕府倒幕運動を開始する際、戦勝祈願をこの小動神社でおこなったと伝えられています。
岬に建てられてる神社ですので海が隣りにあり、海を挟んで目の前には江の島が肉眼で見えるくらい近くにあります。
一つ目の鳥居から入って少し歩くと階段があり、登りきると二つ目の鳥居があり、そこをくぐると本殿があります。
↓二つ目の鳥居
↓本殿
本殿の賽銭箱には、近江源氏佐々木党の家紋である隅立て四つ目結び(すみたてよつめむすび)の紋が描かれていました。↓
佐々木盛綱が先祖の祖国である近江国(今の滋賀県)からこの神社を勧請したときにこの家紋を付けたのだと思われます。
江の島の近くということで、常にとんびの鳴き声が聞こえ海風の匂いが香る海の神社という感じでした。
↓とんび
スサノオは海の支配権を持っていた神とされていますので、祭神の第一座がスサノオなのも何となく合ってるのではないかと思いました。
加地龍太 記