鹿児島県日置市にかつて存在した興焉寺(こうえんじ)という寺に天眞正自源流の初代、二代目、三代目、四代目の墓がありました。
初代「瀬戸口 政重(せとぐち まさしげ)」
二代目「瀬戸口 重為(せとぐち しげため)」
三代目「瀬戸口 長重(せとぐち ながしげ)」
四代目「瀬戸口 宗重(せとぐち むねしげ)」
この四名が骨を納めておられました。
この興焉寺は明治時代の廃仏毀釈の際に廃寺となり寺の建物と墓も全て撤去されてしまいました。2016年までは、その寺の跡地に石碑が遺されていたようですが、私が自源流一門会の人々と共にこの寺の跡地に行った2024年にはその石碑その他諸々の遺されていたもの全てが撤去されていたようで、残念ながら跡地には既に何も遺っていない状態でした。
↓興焉寺跡地
目の前は田んぼが広がるのどかな場所でした。このそばにかつて石碑やその他寺の遺物が建っていた場所があり、そこには地蔵堂のみが遺されその他の遺物は全て撤去されていました。
↓地蔵堂とかつて石碑が遺されていた場所への入り口。奥に行かないと階段が分からないくらい木々が茂っています。
↓地蔵堂。これだけは唯一撤去されずに遺されていました。
この地蔵堂の奥に、明治時代より前は寺があり、明治以降は石碑が遺されていたようです。
今は全てが撤去され完全に山の中みたいになっていました。
↓かつて石碑その他諸々があった場所
目次
この場所は最も何かを感じました
初代、二代目、三代目、四代目の御霊(みたま)への御挨拶が出来て安心しました。
加地