対人戦闘能力を高めるために必須のことが、実際に人と戦うということです。
他者と実際に戦うということを経験せずに強くなることはまずできません。
怪我をすると回復させる期間稽古修行が出来なくなりますので、怪我はなるべく無いように心掛けて日々の稽古に勤しむことが重要です。
人は負けることを嫌がりますよね。他者と戦って負けると自分という存在を全否定されたかのような感覚になることもザラです。
しかし、負けるという経験は何よりも優れた財産になります。
命のやり取りであれば、負ければ死にますね。ルールを定めて生命の安全性を確保した上でのやり合いであれば、実際には死なずに命のやり取りを体験することが出来ます。
命のやり取り、立ち合いにおいて他者に負けたとき、本来であればそこで死んで終わりの所が、模擬的な体験であれば実際には生きている訳ですから、その体験を次に活かすことが出来ます。
自源流はその教えの中で、「瞬間の攻防に全てが在る。」と説いています。
その理歌の一つでも、「二之太刀を あると思うな 一打ちに 命を押し込めてまし。/にのたちを あるとおもうな ひとうちに いのちをおしこめてまし。」と説いています。
真剣での命のやり取りは、冗談で無く互いに一振りの攻撃で全てが決まると思います。太刀の斬れ味、あの殺傷能力の怖さを知ると本当にそう思えます。
安全性を確保した上で模擬的に命のやり取りをするということは、負けた理由の考察をすることが出来るということであり、自らに足りないものが何なのかを知り、より強くなるにはどうすれば良いかを知る最高の経験を積むことが出来るということです。
負けることを恐れずに、むしろその経験を自らの糧として活かすことが上達への道です。
修行者は、皆敗北した経験を持っています。道場に行けば自分より強い存在がいて、その存在にボロ雑巾のようになるまで鍛えて貰うという経験値を多く積んで、要するに沢山負けて強くなっていくということです。
勝つ経験も同じく糧とすることでより強くなるための経験値として活かすことが可能と思います。
自源流の現在の綜師範の教えに、「慢心したら終わりである。」とあります。
勝ちの経験は、驕りに繋がらないように心を律して、勝利に喰われて成長が止まらないように私は心掛けています。
そういう訳で、是非とも負けることを恐れずに、むしろ負けることを楽しんで稽古修行立ち合いに励みたいと思います。
加地