瀬戸口家が代々神職を務めていた宮「蒲生八幡神社」

現在の鹿児島県姶良市(あいらし)蒲生町(かもうちょう)に蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)があります。

この八幡宮はその他の八幡宮と同じく八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)=八幡大菩薩=応神天皇を祭っています。

八幡宮は現在日本で二番目に数が多い神社となり、祭られている八幡大菩薩はとても有名ですね。その数が多い八幡宮の総本社は大分県の宇佐神宮となります。(一番数が多いのは稲荷神社です)

この宇佐八幡(宇佐神宮)が781年に朝廷から鎮護国家と仏教守護の神として「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の神号を賜ってから、八幡宮の祭神は八幡大菩薩と呼ばれています。

八幡大菩薩は武家源氏の棟梁となる清和源氏(せいわげんじ)と、武家平氏の棟梁となる桓武平氏(かんむへいし)の両一族がその氏神として祭った武神となります。

前の投稿でも書きましたが、天眞正自源流の開祖である瀬戸口政重(せとぐち まさしげ)の元の名前は小瀬長宗(おせ ながむね)です。

小瀬家は常陸国(現在の茨城県)北部を支配した佐竹家の親族分家であり、佐竹家と小瀬家は清和源氏の末裔の家となります。

瀬戸口家は元は武蔵国(今の埼玉県、東京都、神奈川県東部)の渋谷に住んでいた渋谷一族であり、渋谷家が薩摩国に住居を移してから瀬戸口家と東郷家に分かれました。渋谷家は桓武平氏の末裔の家となります。

小瀬長宗は瀬戸口家の静(しずか)という娘と夫婦(めおと)となったことで瀬戸口家に養子に入り瀬戸口姓となります。

自源流の開祖は清和源氏の末裔の家に生まれ、桓武平氏の末裔の家に養子に入った訳です。そしてこの養子に入った先の瀬戸口家は薩摩国の蒲生郷(かもうごう)に住んでおり、蒲生郷にあった蒲生八幡神社の神職を代々やっている家でした。この蒲生郷に、江戸時代以降は蒲生麓(かもうふもと)が作られます。

瀬戸口家は神職をやっているということもあってか、家の家業として修験道の修行もやっている家だったそうです。開祖の生まれた家である小瀬家は臨済宗の禅宗を家業の一つとしていた家でしたので、開祖は禅と修験道の修行も武術修行と並行しておこなっていたようで、自源流の形(かた)の中にはそれを思わせる名称のものが現在にも継承されています。

また、開祖直筆の書物の中に自源流の要訣について記載されている部分があります。↓一部を抜粋

「敵に向かっては死を極め、申儀毛頭疑い無く、落ち着き致し候事也。劔禅一如(けんぜんいちにょ)の精神を以て、義氣の果断決行に在り。抑々(そもそも)意地と打ちとは斬道の精神にして、防壁を避け攻撃を主とし、神速に敵を骸と為すに在り。」

自らを追及していく禅と自然崇拝の修験道、そして禅も修験道もどちらも天地自然との精神的融和を目指すということで殺人の技法である武術に人の心を取り込む役割を果たしていると思われます。

私は特定の既成宗教団体、新興宗教団体のどちらにも入信していませんが、神への信仰心は持っています。心技体の心の部分は、この信仰心が根底にあって生まれるものと思います。心が備わっていなければ、正しい技にもなりませんし正しい体も育たないと思われます。

↓瀬戸口家が神職をしていた蒲生八幡神社

八幡宮らしく、武神の力強い気配がありました。

↓境内にある樹齢約1500年の楠(クス)の木

八幡大菩薩は天眞正自源流の守り神としても祭られています。

記・加地龍太

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