手之内(てのうち)の締めを強化する修錬

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伝統技法の継承

修錬

本日、住居の庭に立てた立木(たてぎ)を相手に手之内(てのうち)の締めを強化する修錬をしました。木刀の刀身部分を立木の幹に押し当て、振る動作をせずに左右の手指の締めのみで瞬間的な物理的力を生起させ、一気に引き落とす動きとなります。

これを鍛えて上げてゆくと、得物を真剣としたとき、振る動作を無しにして敵の肉体のどこかしらの箇所(主に首ですね)を断つことが可能となります。
真剣による斬り合いは非合法である現代では、真剣刀法は護身用の技法としては実用出来ないものとなりますが、伝統技法の継承という名目でその技法の修得努力に歴史的価値が見い出されると私は認識しています。

自らが修行している対象に修行する意味と価値を見い出していないと、そのことを誇りに思うことは出来ないと考えますので、私に取ってはこの認識は重要なものです。その稽古として上記したように大木の幹を使った手之内の締めの強化を目的とした修錬をするということです。その稽古を始めてまだ二ヶ月ほどだと思いますが、日に日に締めの力が強化されていることを実感しています。勿論まだまだの域ですが、一歩ずつの進歩を楽しむのが武芸修行の醍醐味みたいなものです。

全体的に見たらまだまだの域ではあっても数ヶ月前の自分自身から見たらある程度進歩していると感じる締めですが、稽古のために使っている立木の幹は当たり前ですが相変わらず泰然としてそこに立っています。

昔の修行者は山に生えている大木を相手にこの稽古をしたと言います。
私はいつも飼い犬の散歩をするときに大きな公園を通りますが、そこには沢山の大木が生えています。その堂々とした屹立ぶりと大木から発されている生命エネルギーを散歩のたびに感じ、自然の雄大さを垣間見た心地がします。

自然は宇宙のリズムで動いている

そして人間は確実に自然には勝てないものであるということを、宇宙の法則をすんなり受け入れるような清々しさで実感させられる凄みを感じます。

「山に在っては立木を打ち、川に在っては流れを打ち、海に在っては怒涛の波を敵と為す。天地自然を敵として修行すれば、人敵恐るるに足らず。」

自源流の開祖が著した三つの代表的な書物「尊形」、「聴書」、「察見」の中の尊形の中に記載されている教えの一つですが、これは実際に刃物で斬り合う戦闘をしていた時代の人々の度胸付けというよりも、自らは大自然の一部に過ぎずその生死は自然から見たら一如であるということだと個人的には考えています。

自らの生命の生死活殺を一如とすることにより、死への恐怖を覚悟することで人敵恐るるに足らず、という心境になるのではないかと考えています。

大木の雄大さは実に清々しく好ましいものであり、この自然の中で禅に入ったり瞑想したりしていると、この自然に屠られるならばそのまま受け入れようという気分に私はなったりします。自然は宇宙のリズムで動いていますから、人間の生命はそのリズムに乗って躍動するものなのだという気付きを得ました。

日々の学びに感謝です。

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