古流儀の形(かた)

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形(かた)と型(かた)

カタとは二文字あります。
形(かた)は動きのあるものの一定のモデル(模範)になる動作の体系のこと。いわゆる動きのフォーム。
型(かた)は動きの無いものを鋳型にはめるイメージ。陶器の大量生産などはこちらの型。

武術では、形(かた)の字を用います。
武術は身体運動であり、関節を動かして多様な運動を行いますので「動きのあるものの一定のモデル(模範)」として形(かた)が存在します。

武術における古流儀は江戸時代以前から存在したもののことを言いますので、室町時代中期から存在した天眞正自源流は古流儀になります。
武術である自源流のカタは形(かた)であり、古流儀である自源流の形(かた)とは、自源流の開祖から各時代の流儀継承者たちが実際に敵と戦闘した経験に基づいて作られた対人戦闘における「動きのモデル(模範)」ということになります。

古(いにしえ)の智慧を学ぶということ

古流儀の形(かた)は、その流儀の開祖や開祖に続く歴代の流儀継承者たちが実戦の中から編み出した戦闘における身体操作のコツとエッセンスが詰まっている宝庫です。
ゆえに、古流儀の形(かた)を習いその動きを模倣して自らの肉体を運動させるという行為は、形(かた)を通して数百年も前に生きていた本物の武士たちの弟子となることであると私は感じています。

上記したように武術の形(かた)とはその時代を生きた人間が実戦の体験から編み出した身体操作のコツとエッセンスの宝庫ですので、それはすなわち古(いにしえ)の智慧ということになります。

自源流の形(かた)を稽古するということは、形(かた)を通して自源流の開祖である瀬戸口政重(せとぐち まさしげ/旧名:小瀬長宗 おせ ながむね)と繋がりを持ち、その智慧を学ぶということになると思われます。
自源流の形(かた)は開祖のみではなく歴代の継承者たちが新しく作ったものや改良したものなど様々なものが存在しますので、開祖以来約570年にもなる時代を渡り、各時代の先人たちの古(いにしえ)の智慧を学んでいるということになります。

形(かた)は流動的であり固形化する必要はない

天眞正自源流の教えに以下のものがあります。


かたがあってかたはなく、かたのようなもの、これいかに。
形が有って形は無く、形のようなもの、是如何に。

みちはなくともみちはあり、くうとはみえず、むとはぞんせず。
道は無くとも道は在り、空とは見えず、无とは存せず。


すなわちかたとははじめなりて、こくうにしてしゅうきょくなり。
即ち形とは始めなりて、虚空にして終局なり。

形(かた)とは、その中に含まれる理合い(りあい)を理解していれば、その姿を千変万化させられるものです。
例えて言うと、とある形(かた)の身体操作のコツ、すなわち理合いが手の指の使い方だとすると、その理合いさえ意識して忘れなければ模範として決められている形(かた)の動きをそっくりそのまま真似する必要は無いということです。

自らよりも後から修行を開始するであろう後の世の門下生たちのために、先人たちは自分たちの流儀の身体操作のエッセンスを形(かた)の中に託しました。
手習いの最初は、まず見本を真似して実際にやることになりますので、形(かた)には一応「こういう動き」という決まった動作のパターンがあります。

まずはその「決まった動き」を真似して反復し、自らの肉体の神経細胞と筋肉細胞にその動きを行うための連絡回路を作らせます。
そうすることによって動きに慣れてスムーズにその動作が出来るようになります。

ある程度の技法レベルになると、「決まった動き」のパターンから離れてその人なりの動きにそれぞれ変化していくのが自然であり、これが上記の「形(かた)が有って形(かた)は無く、形(かた)のようなもの」となる訳です。
「形(かた)とは始めなりて、虚空にして終局なり」とは、始まりは模範となる「決まった動き」の形(かた)を稽古して、のちのちは各個人個人がそれぞれ自分なりの動きに昇華させる「終局の形(かた)」となっていくということだと思われます。

「虚空にして終局なり」の虚空(こくう)とは、大乗仏教における「空(くう)」のことであり、万物が本質的に無常であり独立した永続的な自己=形(かたち)を持たない、という意味と思われるので、虚空=空(くう)であるがゆえに自源流の形(かた)には永続的な固定化固形化した姿というものは無く、それを行う人間によって姿を千変万化させる、という意味と私は解釈しています。

古武術は突き詰めてゆけばマニアックな世界ですが、楽しみ方はこれも人それぞれです。
ただの健康運動のためにやる人もいれば、本格的に強くなりたくてやる人もいれば、肉体の動かし方の研究と実体験のためにやる人もいるので、本当に個人によりけりです。

戦国時代の武術団体のように入門したから強制的に激しい負荷が掛かる修行を命懸けでやらされるなどは今はありませんので、ご関心のある方は安心して体験にいらして下さいませ。

加地

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